あれから3年。

もう三年が経ちましたか。
被害者の方のご冥福を心よりお祈りいたします。
あの時、10時前になったのでニュースステーションでも見ようとテレビをつけたら、既に一機目がビルに飛び込んでいました。ほんの少し前のことに思えますが、もう三年。すでにニュースステーションも過去のものとなってしまいました。
先日放送されていた、映画「ディープインパクト」のハイライト、大津波がマンハッタンを飲み込むシーンでも、傾きながら、貿易センターのツインビルだけは倒れてはいませんでした。アメリカ経済の象徴であった、建造物。しかし、いまはそこには空き地があるだけなのです。
大戦中も無傷だったアメリカ本国。その中枢であるNY、そしてペンタゴンに、敵国の戦闘機でも、爆撃機でもなく、罪のない一般人を乗せた旅客機が飛び込んだのです。その後、世界は大きく変わりました。事態は戦争にまで発展し、憎しみの連鎖が始まったのです。
先日、イラク会戦以来のアメリカ兵の死者が1000人を超えたとの報道がありました。
オペレーション・エンデューリング・フリーダム。アフガン侵攻のときは、ビンラディンの捕獲という大儀がありました。
しかし、オペレーション・イラキ・フリーダム。イラク戦争の場合は、大量破壊兵器があるという証拠もなしに、攻め込んだのです。すべては自国の、ホワイトハウスの利権のために。
その巻き添えになり、殺されたイラクの一般市民。そして、海外からの民間人。彼らは、なぜ殺されねばならなかったのでしょうか。

テロは憎むべきものです。しかし、力に対し、力で対抗するのであれば、それは報復でしかありません。テロから3年。テロに力で報復しても何にもならないことは、身をもって感じたはずです。力ではなく、この憎しみを断ち切ることが出来るもの。それを探し、見つけることが、我々に科せられた使命なのではないだろうか。